マスクマン・ワールド
2004年3月19日 エッセイぼくが個人的にネットを始めたのが昨年秋のこと、
そしてこの日記を始め、他の方々の個人サイトなども
いろいろと見て回ったりした。
そうして知った。ネットの中には、実にたくさんの
そして、多種多様な人々があふれているということに。
そしてまた気づいた。この人達はみな、ニックネームのような
愛称のみで呼ばれ、本名はもとより、年齢も職業も、
時には性別さえも不明な存在であることが多いことに。
ぼくは最初はこのことに、ひどい違和感を感じた。
なにか得体の知れない人たちが
集まっては散り、集まっては散りする世界。
右も左もわからないぼくなんかが迷い込んだら、
瞬く間にとって食われてしまうのではないかと。
しかしまた気づいた。
この名前すらも分からぬ人たちは、
それぞれに主張や方向性がまちまちであっても、
みなとても生き生きとしているということ。
ネットの外よりも、だれもが生き生きと自分を表現している。
ネットの外では、深夜の居酒屋であっても、ここまで自由に
自分の意見や気持ちを話している人達を見かけたことがない。
まあ、こんな事は、ネットを長くやっている人には
とっくに当たり前の感覚なのだろうけど。
ぼくもまた、こうして日記を書き続けていくことで、
ネットの中の自分が、ネットの外の自分とは別に、
どんどんと自由に動き回っていくのを感じるようになった。
外の自分からみると、どんどんと
「壊れていっている」としか思えないほどに。
しかし、ネットの中の存在は、「まだまだこんなもんじゃねえ」と、
どんどん勢いを増し、もっと暴れ足りない様子。
そうして今日も、ネットの外のぼくの、睡眠時間を奪っていく。
最近ぼくは、自分を含めた、ネットの中の人々と共通点を持った、
現実の世界における、ある人たちの存在に気づいた。
ぼくがよく知っている人たち。
その名は「マスクマン」。
マスクをかぶってリングにあがるレスラー達。
彼ら、彼女らは、その本名、経歴を明かさず、
マスクとリングネームのみの存在として活躍している。
中にはその正体を明かしている選手もいるが、
ほとんどは謎の存在として、自分のキャラクターを守っている。
ぼくらプロレスファンは、彼らの経歴やバックグラウンドなどについて
詮索しようなどという行為は、とっくの昔に放棄している。
ぼくらには、彼らがリングの上で何を見せてくれるのか、
それが全てであるからだ。
マスクマン達はみな一様に言う。
マスクをかぶると強い気持ちになれる、と。
彼らは誇りとともにマスクをつける。
マスクマンとしての誇りを持ってリングに上がり続けている。
ぼくは思った。
このネットの世界は、「マスクマン・ワールド」なんだ。
正体を明かさずに闘う者達が集う、マスクマン・ワールドであると。
みんな、ネットの世界のリングにあがるために、
それぞれのマスクを準備して、それをかぶって集まっている。
だから、みな生き生きとしている。
マスクをつけた存在であるからこそ、
本当の自分自身を裏切ることはできないからだ。
名前も経歴もない。リングの上で何を見せるか、
マスクマンにとって、それが全てであるからだ。
マスクをかぶった闘いを終えて、
ネットの外の世界に戻ってからの方が、
なぜかもっと分厚いマスクをかぶっているように感じる事がある。
覆面ではなく、心にかぶった分厚いマスク。
顔にマスクをしていない時の方が、あたかも、
自分の正体に、見えないマスクをしているかのように、
ヒーロー達が、その正体を隠して過ごす日常のように。
ネットの外の世界もまた、覆面をしていないだけで、
その実みな、自分を隠して生活している、
ここもまた、リングの上とは全く正反対のマスクマン・ワールド。
どちらの世界で闘うにしても、
覆面をつけても、はずしていても、
心のマスクだけはできるだけ取り去っていたいものである。
そして、覆面をつけている時間も、はずしている時間も、
マスクマンとしての誇りを持って、
両の世界で闘っていきたいと思う。
こんなチンケな日記を付け始めただけで、
大層大口をたたいていると自分でも思う。
しかし、これもまた、マスクマンの特権だ。
こんなぼくでも、目指すは、
誇りあるマスクマンである、と言いたい。
先輩の皆みなさま方、デビューしたての新人です。
せいぜいもんでやって下さい。
よろしくお願いいたします。
.
そしてこの日記を始め、他の方々の個人サイトなども
いろいろと見て回ったりした。
そうして知った。ネットの中には、実にたくさんの
そして、多種多様な人々があふれているということに。
そしてまた気づいた。この人達はみな、ニックネームのような
愛称のみで呼ばれ、本名はもとより、年齢も職業も、
時には性別さえも不明な存在であることが多いことに。
ぼくは最初はこのことに、ひどい違和感を感じた。
なにか得体の知れない人たちが
集まっては散り、集まっては散りする世界。
右も左もわからないぼくなんかが迷い込んだら、
瞬く間にとって食われてしまうのではないかと。
しかしまた気づいた。
この名前すらも分からぬ人たちは、
それぞれに主張や方向性がまちまちであっても、
みなとても生き生きとしているということ。
ネットの外よりも、だれもが生き生きと自分を表現している。
ネットの外では、深夜の居酒屋であっても、ここまで自由に
自分の意見や気持ちを話している人達を見かけたことがない。
まあ、こんな事は、ネットを長くやっている人には
とっくに当たり前の感覚なのだろうけど。
ぼくもまた、こうして日記を書き続けていくことで、
ネットの中の自分が、ネットの外の自分とは別に、
どんどんと自由に動き回っていくのを感じるようになった。
外の自分からみると、どんどんと
「壊れていっている」としか思えないほどに。
しかし、ネットの中の存在は、「まだまだこんなもんじゃねえ」と、
どんどん勢いを増し、もっと暴れ足りない様子。
そうして今日も、ネットの外のぼくの、睡眠時間を奪っていく。
最近ぼくは、自分を含めた、ネットの中の人々と共通点を持った、
現実の世界における、ある人たちの存在に気づいた。
ぼくがよく知っている人たち。
その名は「マスクマン」。
マスクをかぶってリングにあがるレスラー達。
彼ら、彼女らは、その本名、経歴を明かさず、
マスクとリングネームのみの存在として活躍している。
中にはその正体を明かしている選手もいるが、
ほとんどは謎の存在として、自分のキャラクターを守っている。
ぼくらプロレスファンは、彼らの経歴やバックグラウンドなどについて
詮索しようなどという行為は、とっくの昔に放棄している。
ぼくらには、彼らがリングの上で何を見せてくれるのか、
それが全てであるからだ。
マスクマン達はみな一様に言う。
マスクをかぶると強い気持ちになれる、と。
彼らは誇りとともにマスクをつける。
マスクマンとしての誇りを持ってリングに上がり続けている。
ぼくは思った。
このネットの世界は、「マスクマン・ワールド」なんだ。
正体を明かさずに闘う者達が集う、マスクマン・ワールドであると。
みんな、ネットの世界のリングにあがるために、
それぞれのマスクを準備して、それをかぶって集まっている。
だから、みな生き生きとしている。
マスクをつけた存在であるからこそ、
本当の自分自身を裏切ることはできないからだ。
名前も経歴もない。リングの上で何を見せるか、
マスクマンにとって、それが全てであるからだ。
マスクをかぶった闘いを終えて、
ネットの外の世界に戻ってからの方が、
なぜかもっと分厚いマスクをかぶっているように感じる事がある。
覆面ではなく、心にかぶった分厚いマスク。
顔にマスクをしていない時の方が、あたかも、
自分の正体に、見えないマスクをしているかのように、
ヒーロー達が、その正体を隠して過ごす日常のように。
ネットの外の世界もまた、覆面をしていないだけで、
その実みな、自分を隠して生活している、
ここもまた、リングの上とは全く正反対のマスクマン・ワールド。
どちらの世界で闘うにしても、
覆面をつけても、はずしていても、
心のマスクだけはできるだけ取り去っていたいものである。
そして、覆面をつけている時間も、はずしている時間も、
マスクマンとしての誇りを持って、
両の世界で闘っていきたいと思う。
こんなチンケな日記を付け始めただけで、
大層大口をたたいていると自分でも思う。
しかし、これもまた、マスクマンの特権だ。
こんなぼくでも、目指すは、
誇りあるマスクマンである、と言いたい。
先輩の皆みなさま方、デビューしたての新人です。
せいぜいもんでやって下さい。
よろしくお願いいたします。
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